中学3年生の頃、
周囲との会話は否応なく進路や未来へ向かっていた。
何が自分に合っていて、本当は何になりたいのか。
15歳の子どもに、その答えが分かるはずもない。
それでも将来については、漠然と、けれど真剣に考えていた。
10代後半から20代前半は、出会う人や身を置く環境によって、
まだ何者にでもなれるスポンジのような時間だと思っていた。
高校と大学を合わせた7年間は、その貴重な時期の大半を占める。
何を望んでいるかも分からないまま、
「良い高校、良い大学、良い会社」へと続く既定の進路を選び、
その時間を“とりあえず”で費やしてしまうことが怖かった。
敷かれたレールから外れたかったというより、
自分が進む道くらい、自分の意志で選びたかった。
そのために必要だったのは、進路を決めることではなく、
自分自身を変えることだった。
15歳で仙台を離れ、単身鹿児島へ。
比較文化研究所 南アカデミー iBS外語学院へ進んだ。
それは、人生を何となく決めないために、
当時の自分が人生を懸けて選んだ場所だった。
学院に年齢の区切りはなく、20代から30代、40代、
なかには60代の人もいた。世代も出身も、歩んできた人生も
異なる大人たちに囲まれ、生活を共にした。
教室で交わされる議論も、日常の何気ない会話も、
15歳の自分にとってはすべてが刺激的だった。
さまざまな考え方があり、さまざまな人間がいる。
その当たり前の事実を、知識ではなく実感として知った。
そこで学んだのは、英語だけではない。
英語を媒介に、国内外の歴史や神話、宇宙学、
心理学、人間学、対話学を横断して学んだ。
知識を得るだけでなく、そこから何を受け取り、
どう自分自身の教訓や価値観へ落とし込むのかを問い続けた。
正解を与えられるのではなく、問いを通して、
それまで信じていた価値観を一度壊し、
新たな基準を自分の手で構築していく。
これが、iBSで経験した「価値観の破壊と構築」だった。
夏と卒業前の二度、300〜400人を前に、
全編英語によるスピーチライブにも登壇した。
テーマの設定、話の構成、スクリプトの執筆、
全文暗記、身振りを含めた日々の練習。
一つの大きな目標へ向けてすべてを積み重ね、
最後には壇上から観客へ届け切った。
思想の核を見つけ、構成し、言葉と身体と時間を使って
一つの表現にする。その一連のプロセスは、
現在の企画、ビジュアルディレクション、
映像制作の原型にもなっている。
一年を終えたあと、日本の高校へ戻る道もあったかもしれない。
だが、初めからそのつもりはなかった。
理由は単純だった。面白くないから。
こんな道を選んだからには、行くところまで行ってみたい。
自分で選んだ人生を、あとから後悔したくない。
そうして次に選んだのが、日本を飛び出し、
ニュージーランドで高校生活を送ることだった。
異なるものを一つの正解へ均すのではなく、
違いを違いのまま受け止める。この一年で得た感覚は、現在のPOLLAPLISMが掲げる「違和感の衝突と共存」にも通じている。
自分を環境に合わせるのではなく、
自分を変えるために環境を選ぶ生き方は、ここから始まった。